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ハーバートとMITの大学院留学生

Mona, MayuとJunko

Q: さて今回は、アメリカの大学院に通うMonaMayuJunkoの3人に話を聞くのですが、日本語と英語どちらで進めます?

3人:私は英語の方がいいな。チャンポンになる気がするけど。私はどちらでも大丈夫よ。きっとオリジナルバージョンは英語・日本語のミックスだったりで、それを英語オンリーと日本語オンリーに訳すことになるんじゃないの(笑)。

Q: 日本を出る「きっかけ」は何でしたか?

Junko: 私の場合は、気がついた時にはすでに海外...

Q: と言うと?

Junko: 父の仕事の関係で、幼稚園から小学2年までアメリカでの生活、その後日本に戻って、でもまた中学3年の時にアメリカ行きの話になり、私は自分のユニークな点と思っていた英語が低下してきているのに気がついていた時期だから、日本の受験戦争の高校にも興味が無かったしアメリカ行きは願ってもない良いチャンスと思った。でも小学6年の弟にはアメリカ行きはかなりの抵抗があったみたい。とは言え、意見を聞かれたのではなく、父と家族のアメリカ行きは決まっていたのね。

Q: Mayuの場合はどう?

Mayu: 幼稚園から高校2年まではすべて日本の私立女子学校。母も通った学校で、友達も幼稚園からずーっと一緒、きっと「伝統的」な女の子として育てられて来たのだと思う。でもその高2の時ふと気がつくと、兄や弟の勉強に対して両親は熱心であるのに私の勉強には関心が無く、例えばピアノやお稽古ごとに偏っていた。私に対するこの規制されたチャンネルに強い疑問を持ったので交換留学生として飛び出る決心をしたんです。そして、高3の時デンマークに1年間住んだ─何故デンマークかと言えば、出来る限り自分が知らない所に行きたかった、例えばそのころデンマーク・日本語辞書なんて無いのね。そして建築家の母の仕事場にはよくデンマークや北欧デザインのきれいな写真が飾られていたの。もう一つは、彼らは背が高いから。(Mayu本人は180cmあまりの長身)

Q: まさに、お嬢様的教育を受けて後は大学を出て結婚する人生設計があるにも拘わらず、高校生が1人でデンマークの学校へ行ってしまう。両親はどう取りました?

Mayu: 父がオーケーを出したのは、この交換学生プログラムがロータリークラブ主催であったことが大きいと思う。それと母にしてみれば、1年ぐらいの海外経験はこれからの人生になんの影響も無いと信じていたと思いますよ。ところが、この一年の経験は自分にとっても親にとっても、考えもつかない方向へと進展し始めていったのです。

Q: 今アメリカにいるのも、この時の経験が関係あるのかな?

Mayu: そうなんですけど、その前にデンマークから日本の高校に戻った時の経験が影響しているので...

Q: ちょっとまって、JunkoとMayuの続きはまた後で戻るとして、Monaの話を聞かせて?

Mona: ウーン、今聞いていて2人の感覚とは大分違う感じだと思う。むしろ、私の母親から聞いている彼女の体験談がJunkoとMayuの話に近いのね、と言うのも母は高校を出てからアメリカに渡り、大学でパレスティナ人の父と知り合い結婚。私は生まれたときからすでにマルチカルチャーの環境で育ってきたのであまり「きっかけ」とか意識していない。小さいときから友達の多くは様々な文化バックグラウンドの人々だったけど、海外に出る17歳までは東京で暮らしていたの。通っていた女子校はインターナショナルスクールで、大学は何も考えることなくごく自然に海外の大学に進学したわ。でも勿論日本あっての私だし、今でも日本が自分のホームベースと思っているわ。

Junko: Monaのお父さんは日本語話すの?

Mona: ええ、東京に住んでいるし...私自身日本人と思っているけど両親がマルチカルチャーであることで、また同時に私自身が複合アイデンティティを持っている気がする、なんか一言では言えない難しさがあるのだけど。

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